【エール】双浦環(柴咲コウ)のモデルは三浦環!オペラ歌手で古関裕而と交流!

4月7日の朝ドラ「エール」の放送では、柴咲コウさんの登場シーンが話題になりましたね!

教会に現れた柴崎さんの姿がとてもきれいで、思わず見入ってしまった方も多かったのではないでしょうか?

柴咲コウさんは今回、オペラ歌手の双浦環という役で出演していますが、モデルはオペラ歌手の三浦環さんではないかと話題になっています。

今回は、「エール」の双浦環(柴咲コウ)のモデルの三浦環さんについてや、オペラ歌手として古関裕而と交流していたとされる史実を調べてみました!

 

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【 エール】双浦環(柴咲コウ)のモデルは三浦環!

 

朝ドラ「エール」で柴咲コウさんが演じるオペラ歌手の双浦環は、三浦環さんという実在の人物がモデルになっているようです。

4月7日の初登場シーンでは、美しい歌声を披露する姿が話題となっていました。

こんな人が明治時代にもいたのか・・・と思うと信じられない気もしますが、西洋文化が浸透しきっていない日本においては、当時とても珍しい存在だったのではないでしょうか?

ドラマの中では音が「衝撃の出会いを果たした」とされていますので、物語にとって欠かせない人物であることは間違いないでしょう。

 

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三浦環は実在のオペラ歌手だった!

 

三浦環さんは、明治時代に実在したオペラ歌手です。

後に裕一のモデルである、作曲家の古関裕而と交流があったとされています。

一体どんな人生を歩んだ方なのか、生い立ちからオペラ歌手として活躍した経緯をみていきましょう。

 

生い立ち

三浦環さんは1884年2月22日に東京に生まれました。

3歳の頃から日本舞踊、6歳の頃から長唄と箏を習い始めたといいます。

学校は東京女学館に進学、そこで音楽教師の杉浦チカから音楽家になることを勧められ、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に進学します。

東京音楽学校では、ピアノを瀧廉太郎に、声楽を幸田延に習っていたそうですよ。

 

アメリカでオペラ歌手としてデビュー!

東京音楽学校に在学中に、学内の奏楽堂で日本人初のオペラ公演に出演し、成功を収めます。

翌年、学校を卒業すると、奨学金を手にして研究科に入るとともに、指導者としての道を歩み始めます。

教え子には山田耕作がいたそうです!

音楽の教科書に出てくる人物ばかりですね!

1914年にドイツに留学しますが、その間に第一次世界大戦が勃発。

イギリスに移動し歌手としてデビューしますが、同じ年にアメリカに渡り、演じたのが「蝶々さん」。

高い評価を受けたため、その後「蝶々夫人」を演じることにつながっていきます。

ヨーロッパ各国で高評価を得た「蝶々夫人」は、三浦環さんの代名詞ともなっています。

 

帰国後は古関裕而と交流があった!

シチリア島のパレルモで「蝶々夫人」の2000回公演を達成したことをきっかけに、三浦環さんは永住帰国を決意します。

1935年11月に帰国すると、日本でもオペラの公演やレコーディングをし、オペラ歌手として活躍したそうです。

帰国後レコーディングした曲の中に、古関裕而が作曲した「船頭可愛や」があったということなんですね!

華々しい活躍を続けてきた三浦環さんですが、1944年に第二次世界大戦が激化してくると、山梨県に疎開。

疎開先にもピアノを持ち込んで地元の子供たちに教えていたそうです。

 

まとめ

今回は、「エール」の双浦環(柴咲コウ)のモデルの三浦環さんについてや、オペラ歌手として古関裕而と交流していたとされる史実を調べてみました。

朝ドラ「エール」では、イギリスに渡航する前から帰国して裕一のレコーディングに参加するまでが描かれることになるのではないかと思っています。

柴咲コウさんの美しい歌声が、毎朝の楽しみになってきますね!

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